北條民雄「いのちの初夜」

中江有里さんおすすめの御本 北條民雄「いのちの初夜」を読んでいます。「おすすめ」という表現は適切ではないかも知れません。中江さんが自身の大学卒論のテーマに選んだ作品が 北條民雄「いのちの初夜」 で、以前、サイン会でお会いした時に「ぜひ読んでみて!」と勧めてもらったので、読んでいます。

北條民雄。
文学大好きな人は別として、知らない人も多いのではないでしょうか?
私もその1人です。一応、大学では日本文学科に在籍し(卒論は漢文でしたが)、近代文学研究会なるものにも所属していたのですが、「北條民雄」には触れませんでした。近代文学をゼミで選んだ近しい友達たちからも「北條民雄」という言葉を聞いた記憶がないのです。
北條民雄「いのちの初夜」。
今、手元にある角川文庫から発売された文庫本には、表題作を含む短編8編とあとがき・年譜などが収められています。
私は本を読む際に、まず、あとがき・年譜などから読み始めます。
すると、「北條民雄」があまり広くは知られていない理由の一片が見受けられるような気がしました。
それは、彼が若くして亡くなったこと。享年24歳でした。彼の執筆活動期間が短かったこと。そして、癩病(ハンセン病)だったこと。
癩病をきっかけに「いのちの初夜」をはじめ本格的に執筆に勤しんだのも事実でしょうが、また癩病をきっかけに19歳でした結婚も破婚となり、身内に癩病がいるということを隠す為に、家族との縁も断ったようなのです。つまり、彼の作品の所在の有無も関係してくるのではないかと思うのです。
幸いにも、川端康成氏に見出されたことで「文学界」などに発表する機会も得られましたが、仮に、川端氏との交友がなかったら、おそらく「いのちの初夜」も北條民雄も、歴史的に存在しなかった、という扱いにさえされ兼ねなかったのでは、と思ったりします。

「いのちの初夜」。
これは、北條自身が東村山にある癩療養所全生病院に入所する(した)その日一日の出来事と心情をメインに書いた私小説です。
癩という不治の病の宣告を受け、それでも生きるために病院に入院しようと病院に向かう尾田。病院に行っても生き続けることは出来ない、と分かっている。だったら死んでしまった方がいいのではないか。駅から病院までの道のりで何度も何度も「死のう」「生きよう」「死のう」「死にきれない」「死にたくないのだろうか」「でも生きたいわけでもない」「やっぱり死のう」「今、死んだほうがいいのか?」「今が死に時か?」「今でなくてもいいかも知れない」などと太陽や木を見るたびに自問自答し、途中で首つり自殺も試みるのですが、結局「死」を選びきれないまま病院へと到着するのです。
病院へ着いても希望があるわけでもない。今まで、一般の世界で癩者として気持ち的に底辺に存在していたまだ症状の軽い尾田は、病院内では、その症状に関係なく癩患者として扱われます。つまり、今までは底辺でも「人間」だった者が、いつしか「人間」でなく「生ある物」としての扱いに変わってしまうのです。
重病室には、膿などの悪臭の中、鼻がつぶれたり、口が曲がったり、包帯をぐるぐるに巻かれた人たちが横たわっていて、その光景を思い出すと「いつか自分もあんなふうに・・・」と恐怖と不安に駆られ、また自殺をしようと夜の森に出掛けます。
死ぬために来たはずなのに、やはり「死」と「生」に迷い、・・・・・首つりの紐に首をかけた瞬間に下駄が自分の意図とはなしに転び、首がしまった瞬間、足元に下駄を探してしまい、ついには死にきれないのです。と言っても、あんな化物屋敷のような病院にはもどりたくない。その時、佐柄木に声を掛けられます。佐柄木は入院して5年になる患者で、他の患者の面倒をよく看ている当直です。
佐柄木とのやりとりの中で、尾田が「死ねないこと」への屈服をしていく心の変化が、最大の読み場でしょうか?
重病人を前に「不思議ですよね」という佐柄木。こんなに重病でも、生きている。死ねない、という現実。
自殺に失敗した尾田の、「うまく死ねる」と安心した心とその時心臓がどきどきするという矛盾。
また、佐柄木は「意志の大いさは絶望の大いさに正比する。意志のないものに絶望などあろうはずがない」と言い、「生きられます。生きる道はあります。人生にはきっと抜け道がある」と尾田に自身が癩病であることを謙虚に受け留めることを提案するのです。
きっと尾田は、頭では理解できても身体が拒否反応をするでしょうし、すぐには受け入れることも難しいでしょう。
「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでしょう。でも誰かが言ったではありませんか、苦しむためには才能が要るって。苦しみ得ないものもあるのです」

尾田は「やはりいきてみることだ」と強く思い、北條は、入院中の約3年間、院内機関雑誌「山桜」出版部で働きながら、癩病にまつわる短編を「山桜」に次々と発表しました。
人間からその外観が消え、内部に残ったもの「いのち」。まさに「人間」が「いのち」に戻る、その第一夜を切り取った作品だと思います。
私からも一度は読んでもらいたい作品としてお勧めします。
ただ、もう絶版なのでしょうか?中古品しか扱っていないのは、とても残念です。

いのちの初夜 (角川文庫)

いのちの初夜 (角川文庫)

  • 作者: 北条 民雄
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1955/09
  • メディア: 文庫



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コメント 2

dan

「いのちの初夜」聞いたことはあるような気がします。
かよ湖さんの紹介で内容はよくわかりました。

難しい私小説をここまで読み説くかよ湖さんの力量にまず感服しました。

癩病に関しては無知故の差別、人間否定以外の何もにでもないと
思います。過酷な運命に翻弄されても、悩み苦しみながらも生きて
素晴らしい作品を残した北条民雄の生きざまが胸にしみます。
重い内容で気持ちが沈みがちですが、とても考えさせられました。
出来たら原作を探してみたいと思います。
いい小説を紹介して下さってありがとうございます。
by dan (2014-02-25 21:43) 

かよ湖

danさん、いつもありがとうございます。
中江さんに紹介してもらわなければ、この手の本は一生読まなかったと思います。
今でこそ癩病はほぼ無くなり、また理解もされるような時代にはなりましたが、当時は「癩病である=人間ではない」というような扱いをされ、その素性を明かさない為に家族との縁も切っていたようです。
「死と生」について考えさせられる作品でした。
私は図書館で借りて読んだのですが、販売しているのであれば持っていたい1冊だと思いました。高校の教科書などにも載せてもらいたい作品だと思います。機会があればぜひ読んでみてください。
by かよ湖 (2014-03-01 00:40) 

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